【ASD自己分析】根底にあるのは他人の立場になって考えることができないということ

雑記

以前、ASD(自閉症スペクトラム、アスペルガー症候群)のことを書いた。

ASD気質の一般的な性向はインターネット上に多く紹介されているが、
本人が語るものは多くないと思うので、少し自分の経験をもとに書き出してみる。

以下はあくまで、正式にASDと認定されていないが、
診断テストや書物により自分をASDだと自己認定しているぼくの主観、一個人の自己分析である。

他人の立場になって考えることができないことが根底にある

ワタナベも俺も同じように本質的には自分のことにしか興味が持てない人間なんだよ。傲慢か傲慢じゃないかの差こそあれね。自分が何を考え、自分が何を感じ、自分がどう行動するか、そういうことにしか興味が持てないんだよ

(村上春樹 ノルウェイの森)

ASDの代表的な気質はいろいろあるが、
根底にあるのは他人の立場になって考えることができない、ということだと思う。自分ごとに置き換えることができない、とも言える。

それが、

  • 他人の気持ちがわからない、共感できない
  • 優しさがない
  • 言動が直接的

になっていくと思う。

共感できない

どうも、普通の人は意識的にしなくても、他人の気持ちを主観的に汲み取れるものらしい。
だから、会話をしていて相手に共感したり、映画やドラマを見て感情が揺さぶられたりして、時には涙を流す身体的反応が起こる。

ぼくは何かに感動して涙を流したことがない。
だから本当の自分ごとで、中学生くらいの頃に悔しくて泣いたこと以来、涙を流した記憶がない。
(大した経験をしていないから自分ごとでも、感動で涙したことがない)

他人の悩み相談などで、話を聞くことはできる。
興味をひく内容なら、または好きな人の話なら、的確なアドバイスもできる。
でもそれは相手の状況を客観的にみた場合の意見である。
相手の立場に立って考えることができないから、
悩み相談などの会話では、つらいよね、苦しいよね、という共感する発言は出てこない。

よく対人コミュニケーションや会話力のスキル本で、共感する反応をすることとか、あいづちを打つことをすすめているが、あの手のものがからっきしダメである。

優しさがない

強くなければ生きていけない、優しくなければ生きている意味がない

(レイモンド・チャンドラー/ロング・グッドバイ)

優しさとは想像力だと、前の記事に書いた。
他人の立場に立って、こうしたら相手は喜ぶんだろうなと想像でき、そのように行動するから人に優しいと思ってもらえる。
ぼくはそういう想像力が欠如しているので、人に優しくできない。

いや、優しいと思われることもある。
例えば、駅の階段の下でひとりでベビーカーを持って上がろうとしている人がいたら持ってあげるし、
電車の中で席は譲るし、
道端でつまづいたり具合が悪そうにしてる人には手を差し伸べたりする。
飲食店では同行者を上座にするし、女性にはドアを開けて先に通す。

客観的、一般的には優しい行動に分類されるかもしれないが、本人の意識では優しさではなく、倫理的義務感だったり、後天的に身に着けた知識による。
困っている人を助けましょうという、ごく当たり前の行動様式であって、
相手のことを慮っての行動ではないので、優しさとは異なる。

言動が直接的

正直に話す、というのはしゃべる当人にとってはストレスが無いけど、周囲の人にとっては迷惑です。
みんな、正直に話すのが楽なんですよ。でもそれだったら周囲に迷惑だから我慢してるんです。
あなたの生き方は「公園にゴミをポイ捨て」と同じです。みんながやりだすと、社会は成立しない。

(岡田斗司夫)

人との会話では本音を言う。
本音を正直に言うことが正しいことだと思っている。
その言葉を受け取った側がどう感じるかまで想像することができないから。
人との会話ではオブラートに包む方が基本だ、ということにぼくは30歳すぎるまで気がつかなかった。

君はよく本質をつくよね、と友人に言われていい気になっていた。
単に本質的なことしか言えないだけなのに。

上の岡田さんの言葉を読んだときはショックを受けた。
価値観の大転換だった。
そう簡単には変われないのだけど、ちょっと考えて口にするようになった。

メール、メッセージアプリは特にダメだ。
発信側になる場合は、直接の会話でもオブラートに包まないのに、書く文章がダイレクトにならないわけがない。
相手の反応が見えないため余計にそのメッセージを受け取った人の感情まで想像が及ばない。
受信側になる場合も、文章にすると”言い方”という情報がなくなり、文意がダイレクトにくるので、文字通りに受け取ってしまう。
過去に何度もコミュニケーションエラーを起こしてきた。

行動の直接さも同じだ。
コミュニケーションを取りたくない人にはあからさまな態度を示す。
それを受け取った側がどう感じるかまで及ばないから。
そういうことばかり気にしてしまう人からすると幸せな人だと思うだろう。
でもそういう人ばかりでは社会が成り立たないのは理解できる。
みんな気をつけているのに、気づいていない人だけが好きに振る舞う。
フリーライダーは不公平だし、無知はある意味、悪である。

わかっていてもできないものはできない

これを読んだASDでない人は、ここまでわかっていて、じゃあ、なぜ他人の立場になって考えることができないのか、と思うだろうか。
ぼくにもわからない。そういう脳の構造だから、としか言いようがない。
わかっていてもできないのだ。
ASDでない人が無意識のレベルで、いわゆる脳のレベル1のフェーズでやることを、レベル2のフェーズでなんとか頑張る、みたいな感じだろうか。

今のぼくはこのように理解している。