先日友人から、非モテに告白されて(もちろん、友人としては付き合う対象ではなかった人に告られた状況)
ごめんなさいしたという話を聞きました。
今日はそんな話から思ったことを書きます。
その友人としては、相手に好意があることを示してなかったらしいので、非モテは結果がある程度わかってて、一か八かで告白してみた、という状況のようです。
こういうのは世によくあるのですが、
よく理解できないですね。
なぜなら、
告白というのは、結論がわかって、ある程度の確度があってするべきだからです。
男女で、
「好きです。付き合ってください」
という言葉のその真意は、
公然と抱擁して接吻させて欲しい、
その先もしたい、という合意を得ることです。
(言い過ぎですか?いや、そういうことでしょう?)
一般的に、
相手に依頼をして、その合意を得るという交渉は、ある程度の確度を予想して行います。
なので告白もそうあるべきなのです。
よく考えてみてください。
ビジネス関係でも、友人関係でも、普通の社会活動ではそのようにしているはずです。
友人に頼み事をするとき、
ギブアンドテイクでお願いするか、
この人に頼み込めば、しょーがないなあと言ってやってくれそうとか、
言う前にだいたい予想はつけて行っているはずです。
ビジネスの交渉ごとで、承諾確度が低ければ、確度を上げる施策を打つか、
最初の目標から妥協して相手が受け入れそうなレベルを依頼するはずです。
友人に告白した非モテも、愛の告白以外では、そのように普段しているはずなんです。
一か八か、成就の見込みがないことを頼み込むって普通しないのです。
にもかかわらず、
愛の告白に限っては、そういうことをしてしまう。
この非モテの人以外でもそういうことが、世間ではまかり通っています。
なぜなのでしょう?
それは、
恋愛の問題については、学校では教えてもらえないし、
陳腐で世離れした恋愛小説や恋愛漫画に冒されているからで、
それらをフィクションとして捉えられていないからでしょう。
余談だけど、お金に関することも同じですね。
学校で金融知識は教えられず、
借金は絶対ダメで貯金しようとか、
ローン組んで持ち家を購入してしまうとか、
投機と投資の区別がつかず、失敗してしまうとか。
一般常識が真実と乖離しているところが似ています。
仮に愛の告白は、相手に気持ちを伝えたいだけであり、
交渉するつもりはないんだ、という人がいるかもしれません。
であれば、
「好きです。好きのままいさせてください」
と言わなければいけません。
以前、島田紳助氏がそんなことを口説き文句に冗談かホントかわかりませんが、言っていたような気がします。
でもそれも最終目的は、こっちに気を向かせる手段なので、
ただただ相手に気持ちを伝えたい、わかってほしいという
一方的なコミュニケーションは成り立たないでしょう。
なので、
愛の告白で、成就するかどうかわからないような、
一か八かの告白なんてまちがってます。
だいたいオッケーそうだ、というときの最終確認段階で行いましょう。
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