2020/11/01大阪都構想の賛否を決める住民投票が反対多数で否決された。
道州制への第一歩となるはずだったが・・・
23特別区としての東京都ができた1947年以来の都(特別区)ができるチャンスだったが実現されなかった。これを契機に県と政令市との関係の見直し、東京に次ぐ日本における大都市の誕生、本当の意味での地方分権となる道州制への第一歩になるはずだった。
反対派の根強い拒否感と既得権益への執着
前回の2015年同様、自民、立憲、共産、れいわの維新以外の党はすべて反対。公明党が支持にまわったものの投票結果では公明支持者のうち半数が反対であった。反対も納得のいくものであればよい。しかし彼らの反対理由は全く理解不能である。「わからなければ反対を」や「いらんことするな、ほっといてくれ」など理由のないものも含まれる。こういう場合反対派は有利である。Aという意見に対して、なんでもけちをつければよいだけだから。
大阪市をなくすな、という意見もあった。大阪”府”はあるからいいではないか。行政単位としての大阪市に関わる者以外、大阪市が廃止されることによって不利益を被ることはないはずである。
投票日の一週間前には大阪市財政局と一部マスコミによるクーデタにも近いような発表もあり、既得権益側の底知れない執着心を見た。
時期尚早だったのか・・・
東京都も特別区ができるまで50年以上かかっている。
参考:大東京35区物語~15区から23区へ~東京23区の歴史
明治・大正時代のことと比較しても意味はないが、それを考えれば大阪都構想もまだまだ機が熟していないのかもしれない。
住民投票自体の要否
今回の手続きは大都市地域特別区設置法に基づいた住民投票である。大阪都構想は本質的には反対派が声高に発した大阪市がなくなるというものではなく、行政機構改革であるから、そもそも、この法律の中で住民投票で拘束する必要があったのか疑問だ。
実際、平成の大合併などにおける市町村合併は、市町村合併特例法に基づき行われるが、この中では住民投票を必須としていない。市町村合併の場合も”市”が廃止されるケースはいくつもあるが、それに対する強い反対があったというのはあまり聞かない。
大都市地域特別区設置法の成立(2012年)の過程では、住民投票の要否についても議論があり、自民・民主・公明の主要な党が住民投票は必須との意見だったようであるから、この時点ですでに反対派の毒まんじゅうは埋め込まれていたのかもしれない。もちろんこの砦があったからこそ、大阪では維新単独(今回は公明党含むが)で住民投票までこぎつけることができたという現実もあるのだが。
もっと違う戦い方をできなかったか
告示前は賛成派が10ポイント以上反対派を上回っていたということを考えると、反対派に戦略的に、またはネガティブキャンペーンに負けたとも言える。何かもっといいやり方があったような気がしてならない。
コロナ禍の中というタイミングがよくなかったのか。
今回、二重行政は維新の市長/府知事で実質なくなってしまっていて、争点にならなかったという意見がある。2015年の否決のときも、橋下さんが会見で、世間の不満が多いときには改革が求められる、改革を望まない=不満がない、落ち着いているいうことはある意味いいことだ、と述べていた。もしそれが2015年の敗北の本質であるならば、今回も同じ轍を踏んだということになる。それに対する対策が必要だったのではないか。
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