日本における年齢に対する考え方

雑記

昨日こんなニュースを読んだ。

本当は合格していた医学部入試――「年齢で弾かれた」男性はいま

同様の問題がココにもある。

女性差別だけではない医学部入試 50歳過ぎた受験生は合格者平均を超えても落とされた

医大受験において主に性別による差別があったとして社会問題になったのは随分前のことであるが、今回は年齢による差別について、改めて考えてみる。

学びの場への機会均等が失われる

まず前提として、雇用の場では採用時の年齢による判断は違法である。
(労働施策総合推進法第9条)
企業活動は経済活動の自由、契約の自由の観点から採用についても自由に行うことが認められているが、その判断に年齢を用いてはならないということである。

その募集・採用年齢にこだわっていませんか?― 年齢にかかわりなく、均等な機会を ―

雇用でさえこのような基本原則であるのにも関わらず、大学の入学試験で年齢を理由に不合格、入学拒否とはどういうことなのだろう。
医学部医学科は他の学部とは違い、医師の養成という責務があり医学部に進学し6年履修すれば医師になるという国家資格取得の側面があるという背景を鑑みたとしても、年齢による入学判断は大きな問題があると思う。

大学の存在意義は学問・科学技術の発展、医学部であれば医学の発展が大前提で、そのために国民に広く学びの場を提供し、大学に在籍する人は研究に邁進し、人類における知性の繁栄をもたらすことだと思う。
そこには、若年者も高齢者も関係なく平等な機会が提供されるべきことは当然である。

年齢で区別する理由

最近こんなニュースもあった。

みずほ銀行、紙の通帳に手数料 印鑑・書類も削減へ

みずほ銀行は2021年から紙の通帳発行に1100円の手数料を取るという(今も再発行には同額を徴収している)。ただし70歳以上の方は対象外。

何のために年齢で区切るのだろう。
銀行に出向くのが大変だから免除ということだろうか?それなら障害者の方はどうなる?デジタルに疎い人が多いから?パソコンやスマホを持っていない人が多いから?これも年齢に関わらず人それぞれだろう。

日本の大半のニュースでは当事者の年齢を、ニュース自体に関係なくカッコ書きで記載している。
犯罪に関するニュース、芸能人の不倫ニュース、悪いニュースでなくてもよいニュースでも同じである。
海外のニュースではこのような記載は見ない。

「山田某(43)が詐欺で逮捕された」「佐藤某(30)が不倫した」という報道で、43歳にもなって何してるんだとか、30歳ならまだやり直せそうだとか(例えば、である)、読者がそういう意識をもつ一助になるという報道側の配慮なのだろうか。

とすれば20歳を過ぎた成人の中でも、何歳くらいであればこうあるべきという暗黙知の存在を前提としているのだろう。

これについて、日本は年長者優位な文化だからとか、儒教の考え方がベースにあるからという解釈があるが、年長者を敬うことと採用・入学で年齢差別を行ったり、話題の当事者の年齢が何歳なのか、この年齢帯にしてこの言動はどうかといった考えは関係ないだろう。

こういうものが30歳までに結婚していない人は・・・とか、25歳にもなって定職についていないとは・・・という世間体と紐ついて一部の人にとって生きづらい世の中になっている。
性差による偏見も同じ構図だろう。

もっと多様性に寛容な社会へ

結局、もっと多様性を受け入れる社会になっていくことが必要なのだろう。
それには冒頭のような問題を通して、この問題では医大を責めるだけではなく、根底にはそのようなことが起きてしまう構造があることを理解し、そのことに気づいた人それぞれが広めていかなければいけない。


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