世の中の流れというものはぼくたちが考えるよりかなりゆるやかに変わっていく

雑記

2021年の自民党総裁選は派閥で統一候補を支援するというこれまでのやり方ではなく、派閥に属している議員でも各個人の意見を尊重する自主投票になるのでは、と予想されている。
(これは、2021年自民党総裁選に岸田文雄、高市早苗、河野太郎が立候補を表明した段階で書いている)

翌月には総選挙が予定されているために、各議員が派閥の意向に従っている場合ではないという今回特有の事情はあるものの、密室で決まる派閥の論理よりも個人の意見が尊重されるべきという若い世代の考えに、派閥の力は弱まる方向になっている。

もともと、派閥政治に対する世間の批判的な声は多かった。

派閥を解体すべきだという声が多くあったが、
その過程は外圧ではなく内部から崩れていく様相を呈している。

組織にとって、本当に変わることができるのは外部からではなく内部からである。
個人も組織も、自発的な変化が大きな作用を生む。

これが進むと自民党はいずれ分裂すると思う。

日本にも2大政党制を望む人は多いが、それは今の野党が合併して強くなって実現するとは、今の野党の支持率では到底思えない。

もちろん支持率は各政党の公約や所属議員の言動を反映しているわけで、それらに関しても、今の野党が自民党に対抗できるような可能性を秘めていない。

むしろ、今回の流れを見ると、自民党の分裂によりそれがなされる可能性の方が現実的に思える。

今の自民党保守派と、よりマイルドな中道派への分裂。
自民党には派閥という数の論理で動ける下地もある。

小沢一郎が自民党を解体して、一度は政権交代を果たしたが、それがいつかもう一度起こるのではないかと思う。

そうして初めて日本に2大政党制が根付く。


このように世の中の流れ、時代というものはゆっくりと変化していく。

インターネットによって世界の変化のスピードは速くなったといっても、人や社会の本質が変わったわけではない。

アーリーマジョリティだけが変わっても世の中の大多数は変わらない。
レイトマジョリティが変わって初めて時代が変わる。

たかまつななが、若者が選挙にいかない現状に納得いかず、逆に若者が選挙にいくことで世の中が変わるような意識を持っているようだったが、

【橋下徹×たかまつなな】「残念過ぎる…」若者の投票率UPの為にすべき政策とは? -ABEMA『NewsBAR橋下 #132 』

若者が選挙に行くようになることも、
若者が選挙に行くようになり高齢者に配慮した政策が転換することも、急には変わらないだろう。
実現には予想よりはるかに時間がかかると思う。

もちろん、正しいことを言い続ける必要はある。
それが世の中の変化の道しるべになることもあるだろうし、変化のスピードに寄与することもあるだろう。

何か社会を変えたいという人は、
自分が変化させたいのか
(→承認欲求的)
将来に生きる人々のために変えたいのか
(→利他的)
単純に間違っている(と自分が思っている)ことを正したいだけのか
(→自己満足的)
よく考える必要がある。

承認欲求的または自己満足的に言っているなら、それを利他的に言い換えて、または偽善ぶってこの国の将来のため、とか言ってはならない。

本当に利他的に、将来に生きる人々のために変えたいというのであれば、必ずしもいま自分が生きているときに変わらなくてもいいということだから、今自分がしていることがいつかは報われることを信じてやればいい。

上に書いたように、言い続ければ世の中は変わっていくだろう。
ただし、予想するよりかなりゆっくりと。

世の中の変化を歴史に学ぶと、

明治維新…1868年
大日本帝国憲法発布…1889年
→明治維新から21年後

第1回衆議院選挙…1890年
初の男子普通選挙(第16回衆議院選挙)…1928年
→第1回から38年後

である。

20年、40年という変化のスパンである。
それも当時の指導者たちの欧米列強に対する強烈な劣等感があった時代でさえ、である。

情報技術やマスの発達によって100年前とは違うと言うかもしれない。

でも、マスが発達しすぎて1億総メディアになったおかげで逆に意思の統一が図れず、決定のスピードは遅くなるかもしれない。

批判ばかりで幾人もの担当者がクビになったあげく、毒にも薬にもならないフェスティバルになった東京オリンピックがいい例である。

先程の歴史の例はラジオもテレビもない時代の話である。

40年スパンでは、今の時代でも一人の人間が成人してからの人生一回分である。

言いたかったのは、
世の中が変わらないことを憂いてはいけない
変化を望む人は世の中の変化のスパンを過小に評価しすぎている
いつかはゆっくりと正しい方向に変わるから、本当に日本の将来のためにと思うのなら、それを信じて正しいことを発信し続けることが重要だ
ということである。

(敬称略)